沿革と現況学園歌・応援歌学園誕生物語


 

校長室だより                   

金光学園中学高等学校長 佐藤 元信
 

平成20年7月4日更新


 4月以来の光陰は矢の如く過ぎ、生徒たちは1学期末の試験に入りました。
1学期の大きな行事もすべて無事に終わりました。ことに4月末の中学校沖縄
修学旅行と6月中旬の高校修学旅行のうち、北海道コースは卒業生や教会
の方々に大変お世話になりました。
 5月に二度上京し、 帰光してしばらくした6月8日、東京の秋葉原であの事件
が起きました。全く理不尽に命を絶たれた人たちの無念の思い、家族の悲しみはどれほどだったでしょう。ある金光教の教会長は、教祖のみ教えを引か
れて「障子一重がままならぬ人の身」であることを痛感させられます。と暑中
見舞いに書いてこられました。私自身も同じように感じましたが、同時に、あ
の25歳の犯人の青年について考えざるをえませんでした。
彼に対しては少しも弁護や同情の気持は起きないのですが、5月末の上京
の折、電車の中で赤ちゃんを抱いた女性に席を譲るどころか見向きもしなか
った都会人の無関心ぶりを目撃した後だったので、身近な人や周囲の人に
認められない、関心を持ってもらえない時のつらさ、やりきれなさがどんなも
のか考えざるをえなかったのです。 故郷を離れた彼は、現実の世界で人と
つながりが持てず、 女友達もできなかった。仕事も自動車の整備工といって
も故郷の青森で描いていたような達成感のある創造的なものではなく、単調
な流れ作業だった。仕事を辞める前日、会社に行ったとき“つなぎ”がなかっ
たことで彼は首になったと多分思い込んだ。相談する人が囲りに一人もいな
かったのだろうか。彼はネットという仮想現実に人とのつながりを求めて、ケ
イタイでメールを打ち続けた。彼は、犯行の予告に対して、賛同が欲しかった
のか、それとも、引き留めてくれる人が欲しかったのか。どちらでもいい。ただ
関心が欲しかったのだと私は思う。無責任な賛同者がいても、馬鹿なことを
考えるなと引き留めてくれる人がいても、誰かが関心を示して反応してくれれ
ば彼は犯行を思い留まったのではなかろうか。これは私の勝手な想像に過
ぎないが、考えてみると、仮想現実に救いを求めること自体が彼の悲劇では
なかったかとも思える。インターネットもケイタイもその情報能力・利便性は、
それを十分に使いこなせない OLD MAN にとっては、兜を脱ぐしかない。
けれどもこの世界にのめり込んでいく若者は、現実から遠ざかるだけのように
私には思える。のめり込んでもやっぱり、元の現実に帰らなければならないと
私は思う。現実の人と人とのつながりの中にこそ、喜びも悲しみある。秋葉原
の25歳の青年の現実のどこかに、彼にとっての救いとなる誰かとの出会いが
あったはずなのに、彼は素通りしてしまった。誰かとは、同郷の友人、学校の
先生、それから当然彼の両親がいるはずではないか。あるいはまた、ちょっと
した知恵と勇気があれば、病院に行ったり、カウンセリングと出会ったりする
こともできたのに。会社の同僚と一杯の酒を ? むことが救いになることもある
だろう。そしてまた、金光教の教会との出会いもあったかもしれない。
どもの中には ケイタイが5分と手放せない者がいるという。ビニール袋に
包んでお風呂に持って入るのである。何時メールが来るか分らないから。
そしてメールが来たら5分以内にメールを返さないといけないと思い込んでい
る。このような生活はまことに不幸せな生活なのに、当の子どもたちは不幸と
思ってない。私たち大人は身近な子どもたちに、現実に生きることの喜びと悲
しみを伝えよう。私は学園の中学生と話し、私の孫たちと話をしよう。
久しぶりのお便りが 「よきことの話題にのぼる聞きをれば世に明るさの加は
るごとし」とはなりませんでしたが、問題だらけの日本の現実だからこそ今、
君たちには為すべき仕事と大きな希望があると、私はいつも高校3年生に話
しています。

 5月以来 ご心配をおかけしていた学園のネット上の問題は終結解決したことを
別掲のようにご報告いたします。
  向暑の折、くれぐれもご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

☆ 近畿地方の同窓生の皆さまとは、7月6日(日)午前11時半よりユニバー
   サル・ジャパンでお会いしましょう。

☆ また、全同窓生の皆さま、8月10日(日)の同窓会総会にはお誘い合わせ
   て金光学園へおいでください。

佐藤元信校長

 





 

 

 

 




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